遠距離介護ブログ⑭【ブチ切れる-そしてようやく自宅に帰る】

介護

こんにちはhiromaruです。

この遠距離介護日記は、九州の離島に住む義父母に認知症状が出始め、その介護に追われ奮闘する日々を記しています。

 

一人っ子の夫にかわり嫁である私が、神奈川と義父母の住む鹿児島の離島を毎月行き来しながら介護を行っています。

〔数年前に義父に軽い認知症状→昨年末(2020年末)から義母も認知症状でる〕

 

徐々に義父母二人の介護申請・コロナウイルス・義母の手術等の影響もあり毎月の帰省ではなく、やむなく長期の滞在となり更に悪戦苦闘していました。しかし義母の手術も終わり、退院したので、いよいよ3~4ヶ月ぶりに家に帰る事にしました。

『前回までの話はコチラ👇』

 

やっと義母の特発性正常圧水頭症の手術も終わり島に連れて帰る事ができました。

夏の休暇中島に帰省した夫を含め4人で、食事を楽しもうと思ったところで親子の言い合いがはじまり、一人っ子の息子一筋であった義父の変貌ぶりと聞き分けの無さに、この介護の難しさを感じていました。

夫も休暇を終え自宅に戻り、私は義母の1ヵ月検診も済ませたので、ホッとしていました。

ただ、最後にひと悶着があり….
最大のバトルを繰り広げることになるのです😓

 

じいちゃんが突然ブチ切れる!そして私もブチ切れる!

 

早めの昼食を取っているある日、〇〇〇さ~ん!
玄関に私を呼ぶお友達のおばあちゃんの声がしました!

こんにちは~!

野菜もってきたよ~!

あれ?もうお昼食べてるの?

早かな~😅

 

そうなんです、時間を持て余している義母は朝食べたと思ったら、もうお昼のごはんを仕掛けてしまう程早いので、いつも私が『まだ早いよ』と引き延ばしていましたが、それでもこの時11時半前でした。

いつもこうやって近所やお友達のおばあちゃん達が私や義父母を気遣って、定期的に畑で作った野菜や果物を持って来てくれるのです!

 

わ~~~!美味しそうな野菜だ~~~!

うれし~~い!

おばちゃん、いつもほんとにありがとう!!!

 

ばあちゃ~~~ん❕

また○○おばちゃんに野菜頂いたよ~❕

 

 

わ~~~~、

ありがとうな~~~

よかよか!元気そうだから良かった❕

手術はどうだった?

 

お世話になっているおばちゃん達に義母が退院した事をあらかじめ伝えてあったので、みんなが心配してくれて次々に玄関口で、私の名を呼んで訪ねて来てくれていたのです。

そしてその度に、私への労いの言葉と共に野菜や果物を届けてくれました!

ありがたくてありがたくて・・・

この島でないとほんとに義父母はここまで来れなかったのではないかと、改めて感謝の気持ちで一杯になりました。
(それでも義父母は、数十分後には誰から貰ったか忘れてしまうのですが・・・😓)

 

病院の話や体調の話しをたくさん話した後、長年のお付き合いをしてるお友達のおばちゃんは義母に元気よく言いました。

よかったな~~~!

そんなに元気になったら動かんといかんよ!

 

そうなの、歩いてリハビリしないと、また同じ様な症状になるからね!

おばちゃんたちの様に体動かさないとね!!!

 

そう!

みんなも色んな重い病気を何回もしてるけど、

畑とかやってたり、散歩行ったりしてるから元気なんだよ!

 

〇〇〇義母の名ちゃん!、うちに来たり、何でもいいから体動かさんとね!

そして、お嫁さんを家に帰さないと、かわいそうじゃ!

しっかりせんといかんよ!

まだ家の事もできるし、旦那さんもいるし、夫婦二人で頑張らんと!

 

いやー、自分は何も言ってないけど、こん人が勝手に来たんじゃ

 

・・・・・・・

何言ってるの⁈

そんな事言ったら罰があたるよ!

しっかりせんといかんよ!

 

こん人がいてくれてほんとに助かったのよ、、、

こんな人はおらんと思ってる。。。。

がんばるよ~

これからちゃんと歩くつもりだから…😥

すぐに涙ながらに話す義母を、おばちゃんは元気づけながら『泣くな!私もくるから!』と言って力強く喝を入れるように励ましていました

 

そうするといきなり義父が出てきて

人のうちの玄関で何をゆ~ちょっとか!!!

色々言わんでよか!

帰ってくれ!

 

(私を見て)

わーも、島語であなたも余計な事言わんでよか!

何にぶちぎれたのか?義父は、おばちゃんと私に食って掛かってきました。

おばちゃんは、心配していつもきてくれてるだけだよ!

私は、何もいってない!

失礼な事言わないで!

 

私も帰るから

 

あー、みんな帰ってよか!

興奮した義父を治めるように義母は慌ててましたが、

私は義父を怒りながら部屋の中に連れて行き、
車に乗って帰るおばちゃんを『後で行きますから💦』と言って、深々と陳謝して見送りました。

私は正直もう許せなくなり手が震えてました。

あの言い方は、ダメでしょ!あんな事言ってはいけないよ!

何であれほどお世話になってる人にあんな言い方をしたの?

 

人のうちの玄関で……色々言うから〇×△÷§×□×……

と訳の分からない事を興奮してご飯粒を飛ばしながら、言います。

 

私は許さないよ、おばちゃんに言ったあの言葉!

私も、もう帰るから!

なら、二人でずっと暮らしなさい!

 

あー、帰ってよか!

私は立ち上がり家を出て、おばちゃんの家に謝りに行った後、そのまま車を海へと走らせました。

家族に電話して、愚痴を聞いて貰いずっと美しい海を眺めていました。

 

その日は、二人が夕飯を食べ終わる7時過ぎまで家には帰りませんでした。

 

それからまた数日後義父は、とっくに解約している携帯の充電器が無いから買いに行くと言って家を出ようとしたので、携帯は使ってないでしょ!と言う私にまた

何で携帯がつかえないのか!

……〇×△÷§×□×……!!!

今度は椅子に座っている私の所に向かってきて、すごんできました。

携帯を全く使えなり、もういらないと言ってた義母まで、

たまに使うから…

必要だから…

そう言ってきます。

義母は義父に不満がある時は、じいちゃんを病院に入れよう!と言ってみたり、過剰に褒め上げたり、義父を強く指示してみたり・・・

どこの夫婦もそうなのかもしれませんが、夫婦間の様子は、見たくないもの見てる様で非常に疲れます🤪

 

わかった、○○さんに電話して携帯を復活していいと言うなら

携帯屋さんに一緒に行ってあげるから!

そう言うと、すぐさま夫に電話を入れました。
内容を話し、電話で話をさせました。

何につかうんだ?使えないだろ!

何かっこつけてんだ😤

解約していいと自分で言っただろ!

復活?

するわけないだろ!

いらないのに!

あー話が分かればいいんんだ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何の話だ?

それで納得したのか?

 

私にすごんだ割に、その時はあっさり夫の言う事を聞きました。

やはり我が息子の言う言葉は、息子に反論していても義父にとって大きいのだと改めて痛感しました。

 

この時私は、
デイサービスで着る物に困らないように、義父母の衣服のほつれを繕っていました。


昨日はかなり悩んだものの、義父のデイサービス用のスニーカーがくびれているのを見て、仕方ないと思い、新しい靴も購入しに行ったりと、島にいる間に出来る限りのことを行いました。

義父が先程、私の方にすごんできた時の義父母の言動や態度が許せないのと、自分のやっている事の意味もわからなくなり、

あーーーー、

もうーこんな家いたくない!!!

 

そう言ってまた家を出て、再び海へと車を走らせました。

 

 

明後日島を離れる予定でしたので、何とか一つ一つ我慢してきましが、、、、、

何だか心が非常に疲れていました。
また夫にぶちまけた後、海風にあたって遠い景色を見ていると落ち着いていきました。

 

認知症でこういう段階を踏むと分かっていても、むずかしいよな~

でもこれ以上、怒ってばかりいたら何もかも嫌になっちゃうしな。

 

一応やる事やったし、、、帰れるからいいか!

 

キラキラ輝く海を見ていると、2日後この海に浮かぶ船に乗り、島から脱出出来ると考えると心が少しづつ落ち着いてワクワクに変わってきました。

 

こうやってツノ👹ばかり出してむきになってても仕方ないな~~

 

は~~~~~~~~~~~~~~~~~~、、、

もう、やれる事は出来るだけ夫に任せよう!

 

夕方までウロウロしてやはり、、、夜に帰りました。

 

しかし、二人が寝た後夫に電話で話しているうちに、また夫に不満をぶちまけていました。

 

確かに私がここへ行くからと言ったけど、、、

 

🤬🤬🤬🤬🤬・・・〈文句・不平不満爆発中!!!〉・・・🤬🤬🤬🤬🤬

やってられない!!!

 

夫は電話口でひたすら私に感謝とお詫びを繰り返し、『もう十分やってもらったからこれ以上は、いいよ』と言いました。

 

家に帰りたい・・・やっと帰れる、そう強く思いました。

 

今後の遠距離介護計画

 

 

現状、義父母を私達の住む地域に呼び寄せるのも厳しいし、県内の施設に入所させるのも脱走を図るだろうから、やっぱりここで何とか介護サポートの力を借りて生活させるしかないな~

 

私達夫婦は二人で話しながら、やっぱり近所やお友達のおばあちゃん達が言っていたように以下の計画で考えていこうと思います。

介護計画
  • 現在
    介護保険サービスをフルに使って二人で生活させるようにして、自分達は定期的な頻度で様子を見に来るようにする
  • 将来
    身体的、又は認知症状が進み日常生活に支障が出るという形になった場合施設入所を考える
  •  

    この流れでとりあえずやってみます。

    私がここに数ヵ月来て、介護認定が下りるまで色んな手続きをしましたが、これ以上ここにとどまる事は確実に自分を犠牲にする事だし、またそのストレスを義父母にぶつけてしまう自分がいました。

    しかし、これはお互いに不幸な結果になってしまいます。

     

    共倒れになっては本末転倒だ!

     

    やはり介護は、周りの方々の手を上手に借りながらやらないとお互いに潰れてしまいます。

    その段階に応じた対応をして頂ける介護サポートの力を最大限に利用してとにかく自分自身と義父母の心と体を大事にしようと思いました。

     

    介護サポートの力を最大限利用する

     

    介護認定【要介護1】で利用出来る範囲内で私達の経済的な負担の無いようにケアマネジャーと話して私が帰った今後について以下の様に決めました。

    • 週3回デイサービスに行かせる
    • 毎日2回ヘルパーさんに来て貰う(朝+夕方)
    • 認知外来の病院で訪問介護サービスを受ける(月1回、薬が変わった場合週1回)

    デイサービスは、外に出て人と触れ合う事が重要だし、体と頭を使うので、まだ体は健康で時間を持て余している二人には是非行って貰いたいと思い、週3回組み込みました。

    ヘルパーさんは一日一回の予定でしたが、義父母2人だけでの生活は徐々に苦しくなってきてるので、朝ヘルパーさんにデイサービスの用意や送り出しをやってもらう形が良いとケアマネジャーにアドバイスを受けてそのようにしました。なので、毎日朝と夕方に買物+調理+デイサービスの日の送り出しをお願いしています。

    また訪問介護サービスは、薬の処方やその後の様子観察のために認知外来で行く病院にお願いしました。

    とりあえずこの形でやってみよう!

    この先の対応も考えておく!

     

    島の施設はどこも一杯で、数十人待ちと言う所もあります。それだけ年寄りが多いのです。

    なので、遠方に住む家族は

    自分の居住地域に連れて行くか、
    島を中々離れる事が難しい方(様々な事情で)は、居宅介護と言う形でデイサービス、ショートステイ、ヘルパーさん、お弁当配達の注文、訪問介護を上手く利用しながら自宅で介護サービスを受けています。

     

    しかしいよいよ自宅での生活が難しくなった場合私達はどう対応していくか?考えました。

    1. 義父母宅に近い地域で預けられる施設に入れる
    2. 家族が引取り、家族の家で居宅介護をする
    3. 家族の引き取り先の地域近くで施設に入れる
    4. 何とか介護保険サービスを使い、(ショートステイ等も組み込み)要介護3以上になった時、特別養護老人ホームに入れる

     

    1、の義父母宅近くの施設に入れる場合であっても、一緒に入れる施設があればいいのですが、今の島の現状は、どこも一杯で待機者も多く、中々難しいようです。
    仮に空いた場合も、別々の施設に入れなければならなくなるでしょう。
    でももしも入れる機会があれば(かなり難しいですが💦)グループホームや認知症対応型の施設入所はいいなと思っています。

    2・3は、うちの場合は、義父母が身体的に動くのに困難になるか?あるいは認知症状が進行してあらゆる事がわからなくなったりした時には家族が引き取る形は、あり得るのかもしれません。
    しかし義父母は島と家への執着がかなり強く、今の段階では難しいと判断しました。

    4、こられの理由から4の方法がいちばん有力だと思っています。

     

    介護施設の種類はどんなものがあるか?

     

    【公的機関】

    • ケアハウス(低所得で独居生活の高齢者を対象とした施設)
    • 特別養護老人ホーム(要介護 3 以上の方が入居対象で、費用が安い)
    • 介護老人保健施設(在宅復帰を目的としたリハビリを行う施設)
    • 介護医療院(長期的な医療サービスを必要とする方向けの施設)

    【民間機関】

    • 介護付き有料老人ホーム(介護度に応じて定額で介護サービスを受けられる。認知症や看取りなど幅広い対応が可能)
    • 住宅型有料老人ホーム(入居者に合った介護サービスを選んで利用する。比較的自立した方が対象)
    • サービス付き高齢者向け住宅(高齢者向けの賃貸住宅であり、入居時の費用が安い。安否確認や食事の提供も行う)
    • グループホーム(認知症の方専門の施設。入居者対象は同一市区町村に住民票がある方)

     

    このように施設の種類がたくさん有り、価格やサービスも全く違います。

    上記サイトでは、種類や金額が詳しく出ています。

    ざっくりですが、(様々な状況により異なりますが)民間機関は価格は公共機関より高い様ですが、(様々な状況により異なりますが)施設が整っていたり、状況に合わせて色んな対応が出来る所もあるようです。

    どこが一概に良いと言えず、その家庭や状況などに合わせて選択していくと良いと思います。

     

    いっぱい種類あるなー

    でも場所や施設の内容でだいぶ金額やサービスにも差があるなー💦

     

    公的機関や民間機関それぞれのメリット・デメリットあるし、認知症状の人は受け入れている所・夫婦で入れるのか?とかその施設の特徴と、場所、サービスをそれぞれに調べていかなきゃいけないなー💦

     

    現状では施設の力を借りなくてもなんとか生活できていますが、今後具体的に調べていこうと思います。

     

    夫の気持ち

     

    ひとりっ子の夫にとって親二人共に認知症になった事で当初かなり落胆していましたし、精神的にもきつかったと思います。
    その点私は、そもそも義父母と思考は真逆で相性が合うタイプではなかったのですが、それなりに大人として合わせてはいました😅

    なので二人共認知でかなり混乱はしましたが、、、
    夫ほど悲しまずに今後の事だけを考えドライに動いてこれたのかもしれません。

    夫が親と一緒に暮らしていた期間は中学までだったのですが、両親と会話をする中、認知症で嫌な部分が誇張されたように感じたのと、最近の大変貌にも疲れ切っていました。

    田舎だと余計に周りの方達もどの様に介護していくのか?心配し、それなりに噂も広まります。
    噂は良くも悪くも、疲れるものです。

    今迄封印されていた昔からの消化できていない家族の問題も浮き彫りになったり、お互いの思いを理解してくれない事で不和が生じたり・・・
    ここで出てくる問題が、何かを破壊しかねないと思います。

    認知症や病気の看護介護は、本人だけではなく介護や看護する家族も深く傷ついていくからです。
    だから共倒れになる訳にはいかないので、介護や看護者の心と体を大事にする事は大切だと思います。
    とにかくうまく施設や病院等を利用したりして、相談する事がとても重要だと思います。

    まだこの介護は、この先続きますが夫含め私の心と体を大事にしながら一つ一つを考えていこうと思います。

     

    ようやく自宅に帰る…義母の思い

     

    ケアマネさんやヘルパーさん、病院等様々な手続きを終えて、また親戚やお世話になった方々に挨拶をして、いよいよ私は自宅に帰る事になりました。

     

    帰れる、やっと帰れる!

    嬉しいな!!!

     

    生活全般に関してのお金の管理は出来たので、義父母がお金の管理をしなくても済むようになりました。

    もう、あんたが持ってて!

    自分が持ってても、分からんごとなるから!

    そう言われて、そのようにしました。

    手もとにお小遣い程度の現金は持っていた方がいいでしょと義母と話し、とりあえず数千円を渡しました。
    現金を何度渡しても無くしてしまうので、現金を入れた封筒を数か所にこっそり隠してきました。いざと言う時送金しなくてもよい様にするためです。(送金費用と日数がかかるため)

     

    しかし、そのわずかなお金の中から義母がどうしても私の息子と娘(孫)にこれを渡して欲しいと
    泣きながら言いました。

    これをあの子達に渡して欲しい

     

    と言うのです。

    だめだよ、お金なくなるでしょ!
    これは、何か必要な時じいちゃんとばあちゃんが使うために置いとくんだから!
    また送金する方がお金かかるからさ!

     

     

    頼むから!

    何も出来ないから!

     

     

    子供の様に体を左右に振り、涙ながらに必死に言う義母に

     

    分かったけど、お金なくてもいいの?

    うん、自分達は使わんから!

    おもちゃみたいなお金だけど・・・渡してくれ😔

     

    そんな事を言っても義母がまたお金がないと言って、ヘルパーさんに貸してと言ったり、電話口でお金が無いと言うのは想像出来ます。

     

    しかし、頑なに言い張る義母に

    わかった、ちゃんと渡すからね

    ありがとうね

    私はそう言って受け取りました。

    また来てな!

    そう言って渡された私の手の中には、3000円の紙幣がありました・・・・・。

     

    紙幣を握りしめながらずっと考えました。

    ただただ、、、せつなかったです。

     

     

     

    この想いだけは、嘘はない。
    何か形にして子供達に伝えなくてはと・・・

     

     

     

    そして介護の算段を終えた私は、義母がまた泣かない様にヘルパーさんが来てる最中に家を出て、ようやく3~4ヵ月ぶりに自宅に帰る事になりました。

     

    つづく

     

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