こんにちは!hiromaruです😊
前回のブログからもう数か月も過ぎてしまいました。
何しろこの2023年始まりからかなり色々な事が起こりました。
この遠距離介護日記は、九州の離島に住む義父母に認知症状が出はじめ、その介護に追われ奮闘する日々を記しています。
なかなか仕事で休みが取れない夫に代わり、一人っ子の夫に代わりたまたま派遣満了になったのをきっかけに嫁である私が神奈川⇔鹿児島⇔種子島行き来するかたちで遠距離介護が始まりました。
〔これまでの内容〕
まず2~3年前から徐々に義父に認知症状で始めていたが、義母がしっかりしていたのでこまめな帰省で高齢の二人の生活を観察しつつ、DIYや快適商品で見守っていたつもり・・・だった
→2020年
- クリスマスイブの電話で義父+義母共に認知症状であることが発覚!
→2021年
- 金銭問題も発覚し、これを機に諸々の問題解決のため島に行き二人の介護申請をしてから認知症外来へ連れて行く。
- 義母が特発性正常圧水頭症と診断を受け、この数カ月後手術する。
- 2人共に要介護1の介護認定を受ける
- 今後の生活について、自宅でいつもと変わりない生活を望む二人を地元の介護サポートを受けながら居宅介護でとりあえず様子を見る事にする。
- 日々の介護サポートは、デイサービス週3回・ヘルパーさん毎日朝夕利用・認知外来病院からの看護ケア隔週1回
この一連の段取りとコロナウイルスの影響も有り、私は毎月帰省を3ヵ月続けて後、そこから半年ほど鹿児島と種子島を行ったり来たりしてこの年の2/3を鹿児島と種子島で過ごす事になった。
→2022年
- 義父母が介護サービスのサポートを受けながら生活する事が落ち着いてきたので、私はワンシーズンに1回位の帰省で見守る。(衣替え、随時必要な物の点検、様子確認のため)
- 予防注射や散髪等は夫から親戚の方にお願いするようにした。
- 私達の帰省頻度を約3ヵ月に1回位(2~3泊位)として計画
- 介護サポートの方とのやり取り、義父母への連絡→全て息子である夫がやる!
『前回までの話はコチラ👇』
実母も圧迫骨折
お正月ヘルパーさんのお休みに合わせ帰省しましたが、実母が帰省前日に足を滑らせ腰を痛めたと聞きました。おまけに父母共に風邪をひいていたのです。
母は、
コロナかもしれないし、今は何も出来ないからここにはしばらく来ないようにしたほうがいい
私達は何とかなるから
と言われ一旦姉夫婦の所に行きましたが、実父母が幸いコロナではない事を確認した後、すぐに駆けつけました。
一度通院した病院へ行った所、どうやら検査の結果圧迫骨折を起こしていたというのです。
何故すぐに対応しなかったのか?
医者は骨折だというのに毎日注射を打ちに来れるか?と、威圧的に母に問い詰めその返答が遅いのにいら立っていました。
悩んでいる母を見て私はとっさに
わかりました、外で考えます。
と医者に言って母を連れて診察室を出ました。様子をうかがいにきた看護師にとっさに
もうここには来ません、他の病院に行きます。
驚いた看護師は医者に報告すると、私はまた医者に呼ばれどこへいくのか?等あれこれ聞いてきます。
とにかく午前のうちに良い病院を探しに行きたかったので、ぶちかましたい思いを抑えここで時間を取らずきっぱりここにはもう二度と来ない事だけ言って、タクシーを拾いすぐ次の病院に母を連れて行きました。
次の病院に今までの経緯を話し、あらゆる検査をしてもらうと入院か自宅での専用コルセットを作って看護付き療養の選択を申し渡され、自宅で療養する形でしばらく私が看護する事にしました。
この病院はむしろ自宅に近く医者、看護師、技師、リハビリの方全員が丁寧で明るく優しい連携の取れた良い病院だったので、その後も安心して見守る事ができました。
実父母は、義父母の事で奮闘している私の動きを見て遠慮して何とか自分達でやろうとしていましたが無理な話です。
母の様子をみて実父母も介護や見守りの必要性があるのだと痛感しました。
お正月は、きょうだいで分担して親をみるようにして元旦に義父母のいる島へ行きました。
義父にもリハパンをすすめる
義父母の方はヘルパーさんの正月休みの期間を共に過ごしました。
安定していた二人でしたが、義父の様子を見て義父もリハパンが必要であると判断して義父にも促しました。
きれい好きでプライドの高い義父なので、怒り出してくるかと思ったら
じゃな~、つこうてみる
と、意外に素直に聞いてくれました。
と言うか、むしろ安心していたように思います。
あらゆる行動から今後を決めて行かねばと島で考えました。。。
再び鹿児島にもどり母の回復までしばらくいた後、自宅に帰りました。
義母の徘徊がはじまる
春の陽気になり介護帰省から戻ってきた3ヵ月後、ヘルパーさんから連絡が入り義母が警察の方と一緒にいる事を伝えられました。
どうやら息子の家に家に行くと言って出て、よその敷地に入っていたようです。
心配した住人が自宅へ連れて行こうとしたのですが、住所がわからず警察がきたのでした。
再び家族で島へ行く
今回は、連休を利用し夫や娘とまた島へ行きました。
二人の区分変更見直し(要介護度の見直し)と、またこの時義母の今後の対応を認知外来の病院に相談しようと思ったからです。
区分変更での検査や質問をする事や医者からの話で義父は何やら察知したのか
自分は絶対家を出ない!
家だけは離れない!
出る必要は無いし!
仕事もあるし(???)
二人は出ない!
自分が決めるのが当たり前の話だから!
最もなのですが、いきり立って病院でも家に帰っても興奮していました。
なにやら施設の話が出ているのを察知した義父は、ことあるごとに義母に二人でここにいなきゃダメだと言わんばかりに言い聞かせていました。
そんな様子を見ていた夫と言い合いになり親子喧嘩みたいになってしまったのです。
訳が分からない義母も何だか荒れた様子にいつものように泣くのでした。
おら、死んだ方がよかな
翌々日に義母を一回入院させてから施設を決めて入居させる方向で話が進んでいましたが、、、
結局義父の猛反発で二人を離すと今度は義父が徘徊し出す心配が出て、家族でよく話し今回はヘルパーさんの時間をもう少し増やし様子をみる事にしました。
今回の区分変更の見直しで二人は揃って要介護度2になりました。
田舎へ一時移住を決意する
神奈川に帰り短期派遣の仕事をしつつ過ごしていた私は、もう既に実家近くへ単身移住を決意していました。
そうすると実父母+義父母の様子をみるのに動きやすくなるからです。
家族が食べていくためには夫は今の場所で仕事を続けられるだけ続けて、私は田舎に行ってそこで仕事をして親達のサポートをしよう決めて家族で話し合い計画していきました。
自分の仕事の事も、やりたい事も、40数年ぶりに田舎に帰り一人になってやってみようと思いました。
友人に言われたように私は結局○○のためではなく、思った事を純粋にやっていきたいのだなと自分の事も改めてわかりました。
何故なら正直新しい生活にワクワクしていたからです。
田舎を行き来するうちに都会の喧騒からも離れて田舎の空気にふれたかったし、旅や移動は好きだで気づいたからです。
その選択を家族も納得してみんなで新たな生活に踏み出す計画をしました。
また娘も私の応援したいのと田舎に住んでみたい!双方の祖父母ともっと関わりたい!と言い、結局母娘二人で移住をする事になりました。
義父が倒れる
2023年夏、車で横須賀からフェリーに乗り鹿児島へ移住しました。
金欠になり、ちょっとしたアルバイトもはじめ慌ただしく過ごした2ヶ月後に義父が倒れました。
病院での話によると元気なように見えた義父は、徐々に衰えが出ていたようでフラフラした不安定な歩行から倒れた際に頭を打ち頭蓋骨を少し骨折したようです。
頭や耳から血を流していた所をヘルパーさんが発見して救急車を呼んだそうです。すぐに親戚の方が駆けつけて対応してくれました。
ありがたい。。。
状態が安定していたのもあって、私達(私と娘)が病院へ面会へ行った時の義父の様子はかなり落ち着いていました。
正直私達の顔を見ると遅いと怒ったり、前回の入院のように帰ると言って騒いだりするのではないかと怖かったのですが、ベッドで手を空中で何かを掴むように動かしていたので「どうしたの?」と尋ねると
きれいやな~、
きれいな人ばかりいる
長生きする
義父の言葉は正直いつも何を言っているかよく分からないのですが、その時ははっきりわかりました。
しかし私達親子の事は、全く誰だか理解していませんでした。
リハビリの際も穏やかで『はい』と言って聞くそうです。ここが自宅だと思っているのではないかと言っていました。
病院での話だとやはり今後は居宅では難しいので入所を考えた方がいいと言われました。
義父は今回の転倒で一気に要介護度5になりました。
いよいよ二人の施設入所を考える
現在義母は、期間限定でショートステイに入っています。
義母はどこにいてもさ迷っている感じになっています。
ここが島なのかも分からなくなり気分もむらが出てきてるようです。
もうすぐ出なくてはいけませんが、行先が決まっていません。
義父はリハビリもありしばらくの入院生活になりますが、義母については入居先をすぐに決めなくていけません。
島は同じような方ばかりですが、施設も少ないのでどこも大勢の入居待ち状態です。
ケアマネさんと話して動いていく予定です。
ん~~~~どうなるか、難しいところにいます。
なるようになるか?ここ数日で決めて行かなきゃいけません。
何とか乗り越えていきたいと思います。