遠距離介護ブログ⑰【揺れ動く思い】

介護

こんにちは!hiromaruです😊

この遠距離介護日記は、九州の離島に住む義父母に認知症状が出はじめ、その介護に追われ奮闘する日々を記しています。

 

〔数年前に義父に軽い認知症状→2020年末から義母にも認知症状でる〕

 

一人っ子の夫にかわり嫁である私が、2021年は神奈川⇔鹿児島の離島を毎月行き来しながら介護を行っていましたが、ドタバタしながら義父母二人の介護申請を取り、地元の介護サポートを受けながら居宅介護でとりあえず様子を見る事にしました。

 

日々の介護は、デイサービス週3回・ヘルパーさん毎日朝夕利用・認知外来病院からの看護ケア週1回でお願いしていて、帰省頻度を約3ヵ月に1回位/2泊3日位として計画しました。

 

神奈川に帰宅後は、介護サポートの方とのやり取り、義父母への連絡は全て息子である夫がやるようになりました。何か問題がある場合のみ夫のサポートとして私が行く計画にしました。

 

『前回までの話はコチラ👇』

 

お正月に帰省し、3カ月過ぎました。

基本今は夫がすべてのやり取りをしているので、私は問題がない限り毎月帰省したりする事がなくなりました。

しかし、何も問題が無かったかと言うと前ほどの頻度ではないものの

義父がまた通帳がないと騒ぎ

お前が無くしたんだ!

とまた義母を責めた事があり、義母が親戚の家に泣きついた事がありました。

 

親戚の方からその件で電話があり、その事を知りました。

おばさんがうちに来て

『もう死んだ方がよか』って

泣いてたのよ・・・

 

まー、おばさんはそう言ってても、次の日になったらケロッと笑いながらおじさんの自慢話になるんだけどね💦

 

以前も何回もありました・・・

私が島にいる時も二人のやり取りや二人の感情の揺れに何度か惑わされ、たまには義母をドライブに連れ出し過去の思い出や愚痴を聞いたりしました。

しかし家に戻ると今までの出来事が嘘だったかのように変わり二人で仲良く話し、正に心配した方がバカをみてきました😒

 

この夫婦のやりとりは何回も繰り返すのかな~
死にたいって言葉は、何度聞いてもきついな・・・

 

それにしても親戚の家に行く道は忘れてないんだな~🙄

 

やはり介護サポートを主にした二人だけの生活と言うのは無理があるのか?と悩みました。

 

でもずっと前から夫婦の問題でも、ばあちゃんはコロコロ感情が変化してたな~
余り気にしなくてもいいのかもしれない、

いちいち翻弄されないようにしなきゃ

 

そう考えるようにしました。

 

義父母が落ち着いてきた

 

私達が感じた心配もどこへやら・・・数日後ヘルパーさんから夫に電話がありました。

どうやら義母が

じいちゃんはね、デイサービスでみんなの前で体操を教えたりして…

すごく有名なの❕

と嬉しそうにヘルパーさんに話しているそうです。

どうやらデイサービスの方々が、今日は行かない!と言い出さないようプライドの高い義父の性格を逆手にとり、

○○さん義父がいないと体操が始まらないよ!
○○さん義父でないと出来ないから!
みんな待ってるから!!!

などと話し、非常に上手くのせているらしいのです。

 

さすがだな・・・

 

私はそういう事ほんとに下手だったなー

 

つくづく介護サポートの方々に感謝感謝です!!!

 

二人は、だいぶ落ち着いて生活していて今では大好きな黒砂糖やお菓子さえ欠かさなければ😅、お金を取られたとか不平不満を言う事が無くなりご機嫌に過ごしているようでした。

そして日々接している介護サポートの方々を親戚と勘違いするようになってきたそうです😅

以前私がいる時は、介護サポートの方々に関しても不満を言っては、私に家にいてもらいたいと話していました。
しかしずっとそこに住んでいられるわけでもないので慣れて貰わないといけません。
そこは、これまで夫はもちろん親戚・ご近所の方・義母の友人の方々とも充分に話して今の決断に至っています。

 

私が神奈川の自宅に帰宅後は、トラブルがあった時は夫が一人で激務の中対応していたのでかなり大変そうでしたが、、、、
そこも、一人息子として後悔がないよう、もう夫に任せる事にしました。

 

それから徐々にトラブルの電話は少なくなってきました。

 

なんか最近電話少ないね

 

そうだな、、、

ケアマネさんやヘルパーさんに電話して様子を聞いてみようか!

夫は毎月のスケジュールや会計報告等がFAXで送られてくる用紙に目を通した後、最近の二人の様子についてケアマネさんやヘルパーさんに電話で聞いてみました。

そうすると二人はとても安定しているとの事でした。
春の心地良い気候が安定している事も二人が落ち着いている要因ではないかと言ったそうです。(誰しもそうなのですが、天気で気持ちの変化はかなり大きく表れるそうです)

最近は、特に義父が仕事のように庭の剪定をやっている事、そしてその補助を義母がやっている事などを話してくれました。
義父は相変わらず高い脚立に乗り剪定している事もあり、心配するケアマネさんや義母の制止は聞かないのがちょっと困る点だと言っていました。

付き合う方も大変よ、

言っても聞かんから・・・

と義母もぼやく事もあるようです。
私がいる時も同じだったので、よく分かります。
しかし義母は終了直後には、過剰なほどに近隣の方に対して義父を褒めて自慢するのでした。

庭を掃いたり綺麗にする事は、どうやら義父の母親からのしつけだったようです。

 

これだけは忘れず身についていて、欠かしたくないのだな・・・

 

なので庭の剪定は、取り上げる訳にいきません。
ケアマネさんと話して、充分注意してやるように!と声掛けしていく事にしようと話ました。

 

そしてたまに二人は息子(夫)が島のあちこちにいると、何かを錯覚したようにケアマネさんやヘルパーさんに話したりするのはまだ度々あるそうです😅

 

やっぱり映画(ファザー)と一緒だ!💦その記事はこちら👇

 

また義母は、ヘルパーさんが購入してストックしてある調理予定の野菜を全部使い果して調理してしまうこともあるようでした💦💦

 

確かに、、、

私がいる時もどんだけ😨っていうくらい、大量の具材入れた味噌汁作ってたもんな~💦

消えた野菜たちが、何回かあったな~🙄

料理に対しての思いはかなり強かったからなー💦

 

 

 

だけど、特に大きな問題は無いし、

介護サポートに入る事に慣れてきてほんとに良かった!

ペースが出来てきてよかった!

 

最後に一つ気になっていた事を確認してみました。

私がお正月に島へ行った時、義母の様子がちょっと変わったなと感じていたのですが、

義母の会話の中に私の名前は出てきますか?

そうするとヘルパーさんは、

ご主人の名前は出てきますが、そう言えばお嫁さんは全く出てこないかもしれないです。

やはり私の名前はほぼ出なくなっているようです。

私が島にいる時義母は、年中野菜や果物を持って来てくれるとても仲の良い友人でも心配してかけてくれる言葉が、その時の自分にとって嬉しくない言葉だととらえたら、徐々にその人の名前を口にしなくなり何度話しても頂いた物が誰からなのか忘れてしまうようになっていました。

私もよくキッパリと言わなきゃいけない事もあり、義母にとって心地良くない人になっている可能性もあると思いました。
名前を発しなくなると、きっとその人にまつわる事も忘れていくのではないかと思います。

介護の算段をつけて島の長い生活から自宅に帰宅した私は、何かあるとすぐに泣きつく義母の念をはね返すようにして『私はそこには住めないから、どうか周りの方を受け入れてね』と念じて過ごしてきました。

 

なので私を忘れていく事は当然だと思いました。

 

願いが届いたんだ…

しかし、なんだかホッとしたようなさみしいような・・・

 

いや、と言うより・・・なんだか罪悪感がフツフツと湧いてくるのでした。

 

フリーズする日々

 

自宅に戻り私は自分でやりたかった事に手を付けていこうと動き出しました。

しかし今度は夫の方の会社の問題があり何とか気落ちする夫を励ますべくバタバタ動くのをやめて、ゆったり過ごすようにしていました。

節分も過ぎ、ようやく夫のゴタゴタの問題が落ち着きようやく短期の派遣の仕事もはじめ勢力的に動こうとしたのですが、、、

 

ある時ひょんな事から義父の代々からの土地にまつわるトラブルの話や親族間の問題、お金のトラブルなどを夫に聞かされました。
様々なトラブルがあって財産が失われた過去があった事は、大まかには聞いていましたが、細かく関わってきた人達の話まではよく知りませんでした。

 


義父母が虚勢をはったり内に秘めた怒りを持っていたり、家への強い執着を持たざる得なかったりしたのはある意味仕方なかったのかもしれません。

世の中が激しく変動している時代は、人々の生活も同じく揺れ動くものですが、夫の親族間にもそれが大きくあったようです。
その時代は、夫の家だけでなく私の親にも天国から地獄と言う大きな変動があった事は聞いています。

きっとあちこちであったのでしょう。

 

 

私はその話を義母や夫からざっくり聞いた事はあったのですが、久しぶりに改めて細かく聞き義父母が執着してきた様々な事の意味がちょっと理解できるような気がしました。

その話は、何気なく出た他愛もない話だったのですが、、、

私が義父母にきっぱりとした口調で言い放ってきた言葉の数々を思い、なんだか自分の小ささを感じてきました。
介護サポートの方達が、聞き流しうまく乗せて少しでも快適に一日一日を過ごさせようとする姿と真逆だからです。

 

自分が義父母にやっていることは、これで良かったのか?
人からはよくやっているねと言っていただける事も多かったし、事実自分もそう思ってました。

しかし、私はなんだか肉体と心が離れた様ななんとも言えない状態になっていきました。
どんどんフリーズした日々が続いていきました。

 

 

私は義父母の考え方生き方をある部分否定するような思いを強く感じていました。
その思いから自分は間違っていない気でいました、、、、

 

私は、人をジャッジするような事をしてきた・・・

自己嫌悪になっていくのでした。
人に自分の考えを正論のように話して自分はどうなんだと・・・・・・・

義父母に私の存在を思い出さないでいいからと、祈るように願った私でしたが、実際に忘れていっているような二人の様子に何か心が空っぽになるものがありました。

電話が来なくなった頃から私の頭にたまに浮かんでくるのは、主におおらかな義母の笑顔だったからです。

 

深呼吸(心呼吸)して楽しまなきゃ

 

ボーっとフリーズしながら過ごす中、自分がどうしたいのか?もう一度考え直しました。

自宅に戻ってきてからの家族の揺れもあったことで、私自身の家族を守りたい気持ちは強くなりました。

そして自分がやってきた事にその時々で嫌な感情で動いてなければ自分を信じようと思いました。

選択した道に様々な障害や反論が出てきても、そこは受け入れた上でその一瞬一瞬を大事に考えて行動すればいいと考えました。

後悔しない選択をするためには、気持ちに余裕がないと出来ないと思います。

この心の部分が何をするにも、今後の行動に大きく影響してくるのを義父母を通して学んできたので、これはかなり重要な部分だと思っています。

私は自分が少しでも心地良くなる事を出来るだけ自分に与えました。

・好きな音楽を聴く
・好きな映画を見る
・好きな本を読む
・好きな場所に行ってみる
・おいしい物を食べる
・大事な人と過ごし笑い合う

そうした上で今に感謝して今やれる事を精一杯やろう!

それから自分のやりたい事に向けて進もうと考えました。

 

そうして気持ちも落ち着いてきたら、再び

 

そろそろ二人の様子を見にいこうかな

と、やっと軽い気持ちでそう思えてきました。

 

 

今回ウジウジ自分の気持ちの事ばかりの記事でした💦🙇
最後まで読んでいただいて感謝しています🍀

 

つづく

 

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